聡の追っかけを撃退するために閉めてしまった出入り口。再び開け放たれ風が舞い込み、若葉の薫りを運び入れる。
「相変わらず騒々しいね」
長身の少年は笑いながら、だが少し不愉快そうに入ってくる。そうして鞄を机の上へ置くと、制服の上着を脱いだ。
「窓が開くといいけどね」
聡と同じようにネクタイを緩めながら、開かないガラス窓を振り返る。日本人にしては少し彫りの深い、甘い顔立ちに陽射しがかかる。
毛先を少し遊ばせたような、艶のある黒髪。最近整えたらしく、すっきりと切りそろえられている。その髪の毛とは違って、整い過ぎるでもない絶妙のラインで形作られた顎と、男性にしては少し狭めの肩幅。だが、貧弱には感じない。
陽射しを浴びて、大きな黒い瞳が少し細められる。
「夏は暑いだろうね」
「暑いんなら出ていけば」
まだ怒りの治まらない美鶴の口調に、少年は目を丸くする。そうして肩を竦めて聡を見下ろす。聡も肩を竦めると、ゆっくりと美鶴の手首を放した。
握られた部分をさすりながら腰を下ろす美鶴。中途半端に冷めてしまった怒りの扱い方に思案し、だが妙案が思いつかずに結局教科書へ視線を落す。
聡も腰を下ろし、美形の少年はグルリと建物を見渡した。
「エアコンないんだね。まぁ、そもそも必要ないか」
昭和初期から戦後しばらくまで駅舎として使われていた建物。自家用車の普及と共に路面電車は廃線に追い込まれ、駅舎はしばらく放置された。
物好きな霞流という金持ちが市から買取り、当時の写真をパネルにして、公園の一角に無料開放している。それを、美鶴は偶然見つけた。
霞流の孫だという霞流慎二から管理を任され鍵を預かって以来、美鶴は放課後をこの建物で過ごしている。
登校時に開錠し、夕方施錠する約束。だが、朝早くから開錠すると、授業を受けている間に浮浪者が入り込んでいたり、美鶴を快く思わない連中が待ち伏せしたりして何かと厄介なので、授業が終わってからの数時間だけ開放している。
本当は市民への無料開放なのだが、美鶴が完全に私物化していると言ってもいい。だが霞流からは何の苦情もない。
「せめてカーテンでもあると、陽射しを遮れるから多少は涼しくなるのにね」
カーテンかぁ
良い案だとは思ったが、叶わぬ願いであろう。
管理を任され私物化しているとは言え、美鶴の持ち物ではない。この建物は、そもそも人が過ごすために存在するのではないのだから、霞流に申し出たところで受け入れてはもらえまい。
「でもさぁ、カーテンなんてつけたら、またなんか起こるかもしんねーぜ」
「なんかって何よ?」
思わず聞き返してしまった美鶴に、聡は呆れ顔。
「外から中が見えなくなったら、中で何やってても外にはバレねぇだろ? またヘンなコトに絡まれるぞ」
以前この場所で、覚せい剤絡みのトラブルに巻き込まれたことがある。
「そもそも、こんな公園の隅っこにこじんまりと建ってるんだ。悪巧みをするには恰好の場所だよ」
「だから、アンタ達がいるんでしょう?」
相手を小バカにしたような半眼を向けると、美少年が苦笑した。
美鶴をトラブルから守る為。
ボディガード気取りで毎日しっかりくっついている二人の存在。疎ましさばかりが募る。
一瞬流れた静寂の中に、携帯の振動音が響いた。聡が腰をあげる。
「携帯はやめて」
「わかってるよ」
片手をあげると、外へ出て行く。どうやら電話のようだ。
聡の姿へチラリと視線を投げ、美少年は美鶴の正面へ腰掛ける。今まで聡が座っていた席。
「大迫さんは携帯持たないの?」
「必要ないし、お金もない」
ギリギリの貧乏暮らし。携帯なんて持てるワケがない。
「バイトはしないんだね?」
「バレたら元も子もないからね。それこそ退学」
「バレるかなぁ?」
「毎日監視されてるのに、どうやって隠れてやれっていうワケ?」
「確かに」
納得したところに、聡が戻ってきた。
「お早いお帰りで。彼女?」
しれっと問いかける美少年を、聡はジロリと睨み下ろす。
「喧嘩売ってんのか?」
「別に」
綽々たる相手の態度に、聡は小さく舌を打つ。そうして不機嫌そうに肩を押した。
「人の席を取らないでくれたまえ。スカイウォーカー君」
「スカイウォーカー?」
「名前がルークなら苗字はスカイウォーカー。これ世界の常識」
だが相手は、笑いながら机に肘をついた。親指と人差し指、そして中指の三本で緩く頭を支えながら聡を見上げる。長い足をゆったりと組み、もう片手の指先を軽く机に乗せる。
「生憎と観たことはなくってね。君と違って僕の趣味は、それほど色褪せてはいないんだ」
「言ってくれるねぇ。お前は今、ほとんどのアメリカ人を敵に回したはずだぜ」
一方の聡も、片手をズボンのポケットに突っ込み、首を傾げて口元を緩める。薫る風が、肩にかかる髪の毛に戯れる。
美鶴は眉をしかめた。
お前らって……
目の前に展開される光景をマンガで描くなら、きっと二人の背後にはバラの華でも描かれているのだろう。
そうやって毎日女どもを発狂させているんだな……
「名前がルークなら、せめてあの映画は見ておくべきだね。これも世界の常識」
「君こそ言うね。君は今、世界中の[ルーク]を敵に回したよ」
お互い、不敵な笑みを湛えながらピリピリと絡ませる視線。
長い睫の影を落とした、円らな瞳をやや細めた甘い顔と、整った眉毛をピクリと動かす小さいながらも力強い視線。
美鶴はうんざりと胸元で腕を組む。
女どもが居なくてよかった。こういった場面に女は弱い。
「受けて立つさ。敵は多い方が人生は楽しくなるんだぜ」
「それって本気? それとも… 強がり?」
「お前の前でなら、強がりも本気に変えてみせる」
おいおいおい……
「勝手に人の名前を改名しないでくれる? ルークじゃなくて、瑠駆真だよ」
「どっちだって似たようなもんだろ?」
「じゃあ君のことは、サトちゃんとでも呼ぼうか?」
「薬売りじゃねーっつーのっ」
相手を押し退けてドカッと腰を下ろす。そんな聡に、山脇瑠駆真はニヤリと笑う。
「僕がルークなら、大迫さんはレイア姫だね」
「じゃあ、俺はハン・ソロ」
「あの無骨な?」
呆れたような山脇に、今度は聡がしたり顔。
「レイア姫は、ハン・ソロと結ばれるんだぜ」
今度は山脇が舌を打つ。笑ってはいるが悔しさが滲み出るその口元が動くのとほぼ同時。ガタッと大きな音がして、二人とも目を丸くする。
その視線の先には、殺気立つ美鶴の姿。
「美鶴?」
恐る恐る声をかける聡を一瞥し、いつの間にか教科書を仕舞い込んだ鞄を持って、無言で歩き出す。
「………美鶴?」
「帰るの?」
慌てる二人を振り返り
「送ってく………」
言いかけた山脇の言葉を視線で黙らせる。
「一人で帰ります」
ピシャリと言い放ち、手に持っていたモノを机の上に投げた。鍵はガシャリと無機質な音を立てる。
「明日返して」
どちらへともなしに付け加えると、そのまま背を向けて建物を出た。
「追いかけないの?」
投げられた鍵に手を伸ばしながら振り返る山脇。聡は肩を竦める。
「俺も命は惜しいからね」
遠ざかってゆく美鶴の背中。そこから沸き立つ刃の気配。
「今のレイア姫は危険だぜ」
「同感だね」
やれやれと瞳を細め、摘み上げた鍵を唇に当てた。
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